三光ダイカスト工業所

アルミ・亜鉛のダイカスト部品メーカー三光ダイカスト工業所 スチームパンク活用のマーケティングで顧客獲得(2)

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社長に就任、現場環境の整理整頓や廃材・端材の再利用へ思いを巡らす

三光ダイカスト工業所代表取締役社長の三宅ゆかり氏

三光ダイカスト工業所代表取締役社長の
三宅ゆかり氏

三宅氏は創業家出身の社長である。同氏が三光ダイカスト工業所の社長に就任するキッカケは、父親である初代社長の入院だった。それまで三宅氏は美容サロン2店舗を経営しており、三光ダイカスト工業所を引き継ぐ気持ちはまったくなかった。「入院した父親と会話し、父の思いやそれまでの父に対する誤解が解け、自分の気持ちが変わっていった。美容サロンを経営できたのも父親のサポートや信頼があったからだと気付いた」と三宅氏は語る。同氏はその後、美容サロンの経営を社員に任せ三光ダイカスト工業所に入社する。そうした中、入院していた父親が他界し叔父が社長を引き継ぐ。しかし、その叔父も病にかかり三宅氏が社長を引き継ぐことになる。2013年のことである。

「三光ダイカスト工業所は50年近い歴史を持ち、100人を超える社員の生活を支えている。一種の正義感から社長になることを決断した」と、三宅氏は当時を振り返る。しかし社長に就任したものの、リーマンショック後で顧客の海外シフトも進み、売上は最盛期の半分程度に落ち込んでいた。ダイカストの知識もなく、社員とのコミュニケーションも取れず、何をすれば売上を伸ばすことができるのかと苦悩する日々が続いた。

そうした状況の中で一つの指針を与えてくれたのが「現場を回れという父の言葉だった」と三宅氏は言う。現場を回ると、工場の中が乱雑であることに気づいた。「現場環境を整理整頓できないのは社員の心が乱れているから。まず工場の整理整頓から始めることにした」(同氏)。そこで目にしたのがスチームパンク・アクセサリーの材料となる余材廃材だった。社員に話を聞くと、アルミの再生率は30%程度と低かった。三宅氏は余材廃材を何とかできないものかと思い巡らす。それと並行し、三光ダイカスト工業所の財務状況を把握するため原価管理室を立ち上げる。営業目標会議も実施した。それでも「三光ダイカスト工業所の経営状況を把握するのに1~2年かかった」(三宅氏)。

スチームパンクとの出会いが社員の活気を引き出す

売上を伸ばすため、建設機械や医療といった新分野を開拓しようとしたものの、そう簡単に新分野が開拓できるものではないことも分かった。特に医療分野では薬事法等の規制をクリアするため多くの投資が必要になる。それでも売上を伸ばしていかなければならない。三宅氏が悩んでいるそんな時期に、三島商工会議所でビズホープ代表取締役の寺田望氏に出会う。寺田氏は講演の中で、子供連れで利用できる女性起業家向けのシェアオフィス「コトリスラボ」を立ち上げることを説明した。そのとき三宅氏に女性の直感が働いた。三宅氏は講演後に寺田氏と名刺を交換、余材廃材の利用方法を相談した。すると寺田氏は直ちに三光ダイカスト工業所の工場見学に来てくれた。

寺田氏が連れてきた女性クリエータの中に「この工場はスチームパンクのような世界観ですね」と言った人がいた。それがキッカケで、予てより三宅氏が思いを巡らしていた余材廃材の利用方法として、スチームパンクの世界観を取り入れたアクセサリーの製作を思いついた。もちろんそんな思いつきには、依頼業務の自動車部品しか作った経験のない社員は無関心だった。しかし自分たちのアイデアで作品を作り上げるといった創造的な作業であることが分かると、社員の対応も変化していった。「スチームパンクによって社員の発想は広がり、自主性が芽生えた。自社技術に対する自信も生まれた。自身もスチームパンクを通して社員とのコミュニケーションが円滑にできるようになった」と三宅氏は言う。

三光ダイカスト工業所は新規事業に向けて活気を取り戻しつつある。しかしまだ売上は最盛期には及ばない。三宅氏は、その案件をベースに今後10年かけて最盛期の売上を目指すと、業績回復に意欲を示す。

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