静岡県西部の浜松エリアは、古くから光・電子技術が進んでいた地域である。1924年、のちの静岡大学名誉教授・高柳健次郎が旧制浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)時代、世界で初めてテレビに「イ」の文字を映し出したエピソードは、その事実を象徴的に示している。現在も高度な技術を有する世界的企業や大学発ベンチャー企業が多数立地しているだけではなく、光・電子技術を追究する大学・研究機関も数多く存在している。
静岡県では新産業集積クラスター形成と連携の取り組みとして、県東部で医療・健康関連産業の「ファルマバレー」、県中部で食品関連産業の「フーズ・サイエンスヒルズ」(現在は「フーズ・ヘルスケア」)、そして県西部では光・電子技術を基盤とする「フォトンバレー」というプロジェクトを推進してきた。このうち「ファルマバレー」と「フーズ・サイエンスヒルズ」については2000年代に拠点が設置されていたが、「フォトンバレーセンター」が公益財団法人浜松地域イノベーション推進機構の内部組織として設立されたのは、2017年4月のことである。
センター長を務める前静岡大学長の伊東幸宏氏は、その経緯を次のように語る。
「2000年からJST(科学技術振興機構)の地域結集型共同研究事業が始まり、その後も文部科学省の知的クラスター創成事業や地域イノベーション戦略支援プログラム、JSTの地域産学官共同研究拠点整備事業など様々な国のプロジェクトに携わってきたが、これらはどれも短期的な取り組みだ。地域の光・電子技術をさらに活性化していくには、やはり拠点となって牽引する組織が必要だということで、フォトンバレーセンターを設置する動きとなった」
ただ、「ファルマバレー」は医薬品・医療機器を中心とする産業、「フーズ・ヘルスケア」は機能性表示食品や化粧品の開発促進がミッションであるとされているが、フォトンバレーについては光・電子技術産業育成を眼目にしてはいけないのだと伊東氏は指摘する。
「光・電子技術はIoT、ビッグデータ、AI(人工知能)、ロボットといった共通基盤を支える技術。最終製品として光・電子技術を使うものだけでなく、製造・加工、検査、管理、流通まで多彩なシーンで光・電子技術が活用されている。よってフォトンバレーセンターが担うべき仕事は、光・電子技術を活用して、地元の主産業である自動車・輸送機器関連はもちろんのこと、他の製造業や物流、医療・福祉、農業なども含め、あらゆる産業の底上げを図っていくことだ」
そのフォトンバレーが現在展開している事業にはどのようなものがあるのか。まず“一丁目一番地”の重点施策としているのが、プラットフォームの構築と運用だ。フォトンバレーセンターを拠点として産学官連携の強化と企業のネットワーク化を実現。そのプラットフォームのもとでビジネスマッチング事業や展示会出展支援・広報情報発信・セミナー等の開催、光・電子技術活用を支援する補助金事業、海外の産業クラスターと連携する世界的ネットワーク構築支援事業、そして産学官金連携によるイノベーション推進事業などを進めていく。
まずビジネスマッチング事業については、センターにコーディネーターを配置し、主に県西部地域をはじめとした県内企業等からの相談に対応している。コーディネーターが課題などをヒアリングしたうえで光・電子技術活用に向けた技術アドバイスを提供するほか、大学・企業等のマッチング支援、各種支援制度の紹介、販路開拓支援などを行う。ちなみに2019年度はさまざまな産業界から約500社・2000件の相談を受けたという。
ビジネスマッチングにおいては、レーザー、センサーといった光・電子技術の基礎知識やIoT活用などをテーマとする参加無料の参入啓発セミナーにも力を入れている。
「なぜ“啓発”という言葉を使っているかというと、光・電子技術はあらゆる産業に不可欠な共通基盤技術となっているにもかかわらず、特に中小企業にとっては自社には関係ないという先入観が強いからだ。そこでまずは光・電子技術の重要性や有用性を理解してもらい、企業の課題解決や新規事業開発につなげていくのが狙い」(伊東氏)
産学官金連携イノベーション推進事業は、「Access Center for Innovation Solutions, Actions and Professionals」の頭文字から取った「A-SAP」(エイサップ)という名称の中小企業支援スキームのもとで展開される。これは企業の課題解決にあたって大学等の研究機関を活用するフレームワークであり、新製品や既存製品高度化等のアイデア、あるいは事業化に向けて企業だけでは解決が困難な課題に対してプロジェクトチームを結成。大学等の研究者がプロジェクトリーダーとなって、約6カ月の期間で課題解決や製品化に向けた取り組みを実施するものだ。
一般的な補助金事業では補助金が企業に対して支払われ、審査の申請から交付決定後の資金管理、共同研究先の選定、研究開発実施、進捗管理、実績報告までのすべてを企業が行わなければならない。これに対して委託事業であるA-SAP事業では、企業から依頼を受け審査を通過した案件について、センター・研究機関・依頼企業の三者が契約を締結し、500万円を上限とする委託金はセンターからプロジェクトに対して支払われる。依頼企業はプロジェクト終了後に試作品などの成果物を得る仕組みだ。
「補助金と異なり、企業はアイデアのシーズや解決したい課題を出すだけで、申請や資金管理・進捗管理・実績報告などは一切行う必要がないため、負担がきわめて少なくなる。とりわけベンチャーなどマンパワーの少ない企業にとってはメリットが大きい」(伊東氏)
A-SAPの特長・メリット
2018年度から本格実施を開始したA-SAP事業では、すでにさまざまな成功例が出ている。第1期で支援したHappy Quality(静岡県浜松市)の事例は、糖度の高いトマト生産のためこれまで暗黙知に頼ってきた水やりや施肥をセンサーとAIで数値化し、灌水制御システムを開発した。同社はプロジェクト終了後もファンドから資金調達を続け、若手人材の確保・育成、流通の確立につなげるなど、活躍の場を広げているという。
「A-SAPの特徴の一つは、大学で研究を推進するところ。地方創生における大学の役割見直しにつながることに加え、研究開発部門を持てない中小企業も地域の知の拠点である大学をR&Dセンターとして活用できる。もう一つの特徴は、プロジェクトチームに金融機関を入れていること。金融機関から人を出してもらい、プロジェクトの市場性検討だけでなく、プロジェクト終了後の資金調達につながる可能性もある。もちろん金融機関にとっても、自らの将来を見据えたとき、地域として中小企業を育てていくことにはメリットを感じるだろう」(伊東氏)
水やりや施肥をセンサーとAIで数値化する潅水制御システム
(株式会社Happy Quality)
フォトンバレーセンターでは人材育成も重点施策に掲げている。前述の参入啓発セミナーに加え、中小企業と日頃から接する地元金融機関社員などに光・電子技術の可能性を周知させ、そこを起点に啓発を進めるため、金融機関、産業支援機関向けセミナー開催も計画しているとのことだ。
地域の活性化と持続的成長に向け、県西部地域の強みである光・電子技術と「知」の蓄積を最大限活用し、あらゆる産業の高度化とイノベーション創出を目指すフォトンバレーセンターの今後に注目したい。